女手一つで育ててくれた母へ、日本一の恩返し

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大好きな野球ができる、健康に毎日を送れる、そして子供たちが笑顔でいられることはお母さんの愛情があり、いつも支えてくれているからです。

ひどく汚れたユニフォームを一生懸命落としたり、ペコペコなお腹のために美味しいご飯をたくさん作ったり、当たり前のようだけどとても大変なことを、大きく成長してほしい愛する子供のために、お母さんたちはがんばっています。

野球少年を持つお母さんにはホント頭が上がりません、いつも応援しています。

今回の記事は2018年に日本シリーズでMVPに輝いたソフトバンクの捕手、甲斐選手のことについて書きたいと思います。

甲斐選手は母子家庭で育ち、ここまでの道のりなどを色々なテレビで取り上げられていたので、一気にスター選手になりましたが、その謙虚さがとても印象的でした。

決していい環境ではないところから

甲斐選手はもともと育成選手としてソフトバンクに入団したんですが、その育成とは普通のドラフトで指名されず育成ドラフト枠というのがあり、球団の保有枠に満たないけど将来性としてドラフトとは別で指名する制度です。

要は、2軍でもなく3軍からのスタートで、這い上がって2軍へ行き、そして夢の1軍を目指すという過酷な道のりという流れです。

そして甲斐選手は育成枠の6位という一番最後に指名されてから7年後、ソフトバンクの2年連続日本一に貢献しMVPという快挙を成し遂げました。

母の仕事は

そんな甲斐選手は母子家庭で育ちお兄さんに憧れ野球を始めたそうです。甲斐選手の母は仕事を掛け持ちしていた時期もありましたが、二人のためになにかあったらすぐに動けるようにと母が選んだ仕事が「タクシードライバー」

当時は母子家庭が今みたいに多くなくて、周りの子にお母さんが働いているから「かわいそう」とか言われないように、良いことも悪いことも必ずお母さんに言いなさいと約束事をしていたそうです。

また甲斐選手のお母さんは、野球は出来ないし教えてあげられるということが出来ないので独学でスコアの勉強をし、それも全て息子のそばにいたいと思う気持ちなのでしょう。

甲斐選手のどこまでもひたむきで、素直な性格は一身に愛情を注いでくれた母の背中を見て育ったのかもしれません。

夢のプロの世界は厳しい毎日

母と一緒に歩んだ甲斐選手の野球人生、その転機は高校1年の夏。それまでセカンドだったのが高校に入りキャッチャーに転向したのです。

甲子園に行けなかったものの、2010年プロ入りまで果たすようになったのです。

しかしプロに入ってもただひたすら練習するだけの毎日、そんな苦しい時代を支えたのも母でした。

育成で入団してからの3年間、支配下登録されてからの1年間は本人が苦しんでいたと思うので、弱音や愚痴を聞いてあげ全て吐き出してあげようと毎日電話をしていたそうです。

「母が一番の理解者であろう」と言っており、僕はこれがとても響きました。

ありがとうは魔法の言葉

いまではトッププレイヤーになった甲斐選手はいまでも心に刻んでいるのが、母との約束です。

母はいつも「謙虚さを忘れなさんなよ」と言い続け、育成時代に二人で話をしていたそうです。

たくさんの人の支えでここまで来たことを甲斐選手は謙虚さといつも口に出す言葉があるそうです、それは「ありがとう」

母がありがとうはたくさん言っときなと、ありがとうは魔法の言葉と甲斐選手に送っていました。

テレビでインタビュアーが「母親に一番の恩返しは」と問われるシーンで、「まだできていないんじゃないですかね、まだその途中だし、僕も満足していないしずっと喜ばせていきたい、まだまだそういう意味ではできていない」と語っていました。

日本一のキャッチャーにまで育てた母と子のストーリーを見て僕は改めて自分の母に感謝と恩返しをし続けなきゃと思いました。

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