母の少年野球 「親は自分の人生を自分らしく生きていこう」

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・影・家族・三人

子育てでは、「こういう人になりなさい」と口で指導するよりも、親が「私はこれが許せないんだ」「私はこういう人間になりたい」っていう価値観を明らかにしていくことから、子供は何かを学んでいくと思います。

子供が社会に出て自分の足で生きなくてはならなくなった時、生き方のモデルは、やっぱり両親のはず。

親が自分を放棄して手と目とお金を子供にかけたところで、子供はただ重い期待を背負わされるだけで、生き方のモデルを見ることはできません。

期待の重さを感じながら親を眺めるより、一生懸命生きている親を眺める方が、「私も私なりに一生懸命生きていこう」と思えるのではないでしょうか。

ただし、親が発信したところで、吸収するものは子供一人一人によって違います。

完璧な親なんていませんし、子供は親を反面教師にして学んでいくかもしれません。

子供が親からどういうところを拾っていくかは、その子次第です。

親は、子供がどの道を選ぶかまでは保証できないんです。

だから、例えば「目立つことはやめて、上手に世渡りするのが一番」と思っている人は、子供にそんな生き方を見せていけばいいでしょう。

子供は親を見習って、世渡り上手な生き方をするかもしれませんし、思春期になった時、「うちの親って最低!」と反発し、気難しい子になっていくかもしれません。

あるいはその反対に、主義主張がはっきりしている親が「変人と呼ばれても自分を貫くのが大切」というポリシーで子育てするのなら、子供もそれにならうか、調子よく生きようとするかもしれません。

子供の人生は、子供のものです!

そして、親が自分の人生を自分らしく生きてさえいれば、子供はそれを栄養に、自分の問題を自分で引き受け、やがてどこかで親を乗り越えて、自分の路線を見つけていくのではないでしょうか。

子育ての原点は、子供がいつでも帰れる場所を作ること

物語に置き換えると、子供の人生の主役は子供自身、親は脇役だと勝手に思ってます。

子供が大きくなると、「私は子育てに失敗したわ」と言うお母さんはときどきいますが、それは子供にとっても失礼ですよね。

失敗したと感じたら、それは「子育てに、一生懸命になれなかった。自分自身にきちんと向き合えなかった」

という意味であって、決して子供が失敗作ということではありません。

成功や失敗の基準は、他人が決めるものじゃありませんし、本人が人生の最後に「自分の人生、なかなかよかった」って思えたら、どんな人生であっても、それは成功なんです。

考えてみれば、子育ての成功というときの基準は、いい学校に入り、いい企業に就職するところまでしか見ていない場合が、ほとんどです。

偏差値の高い大学に合格したら成功で、受験に失敗したりドロップアウトしたら失敗、というわけです。

でも、子供にとっては、自分の人生は生まれた時から自分のもの。

社会人になってもずっと人生が続くことを考えれば、途中で「成功、失敗」って、親が勝手に評価するのは、ずいぶんおかしな話です。

だいたい、学校を卒業して何十年も経ってから同窓会をすると、学生時代はみんな似たような雰囲気だったのに、一人一人まるで違う生き方を歩んでいることに気付かされるもの。

仕事を続ける人、事業を立ち上げた人、ボランティアをしている人、本当に様々。

自分らしく輝く人生のスタートを切るまで、少し時間がかかる人もいます。

自分が好きな自分になるのは、それこそ生きているうちに間に合えばいいと最近思ったりします。

長い目で見て、「なかなかいい人生だったな」と思えるかどうかを基準にするなら、親は脇役にすぎません。

まして、五歳で出来ることを三歳でできるようにトレーニングすることは、親の自己満足にはなるでしょうが、子供の一生の足しになるとは限らないです。

子育ての成功とか、育てたこともない自分が言うのは変な感じですが、あえて言うなら、それは子供が思春期を抜けて大人に近づいたとき、「自分は生まれてきてよかった。この親でよかった」

って子供自身が思えることかなと。

そして、このことは子供が思春期を迎えた時、ぜひ思い出してほしいと思います。

だって、思春期が親子関係で一番の正念場というか、苦しい時期ですから。

僕は中学、高校と親に苦労させっぱなしだったもので笑

まぁだからいまがあると…

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