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プロフィール、佐久間良明、母の少年野球

「ブッチホン」と流行る前の小渕さんが平成を掲げた年に僕「佐久間良明」は生まれました。

それからのほほ~んと30年が経ったんですねぇ

ということで…

僕の幼少期からここまでの過程、そして「母の少年野球」のブログを書くに至った経緯を多分簡単にまとめました(笑)

■ きな食べ物 やきとり・背脂醤油ラーメン・個人経営の家系ラーメン

■ 味  自然豊かなとこで散歩・少年野球を観に行く・Netflixでアニメと映画鑑賞

YouTubeで色んな動画を見ること

楽  John Mayer、Eric Clapton、Stevie Ray Vaughan、Oasis、Red Hot Chili Peppers

主に洋楽が好きです♪

歴  SEIYUでレジ打ち・サンマルクカフェ・ホテルの配膳・プールの監視員

リンガーハット・施術師

■ 身地 長野県の松本市で生まれ、1、2歳の頃には長野市に暮らしていたような

そこから、飯綱町という市内から少し離れた、緑豊かな高原地域で高校

卒業まで暮らしていました

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少期 は母親曰く、育てるのが楽だったというくらいおとなしく、あんまり泣かない子だったそうです

今にはないくらいの夢中っぷり笑

そんな物静かな僕は、家にいるより外で遊んだり活発に動き回る方が好きでしたね

補助輪なしで自転車に乗れるようになりたいと思ったら、雨の日でも自転車に乗る練習をするくらい、自分がこれだけは達成したいことに関しては常にチャレンジし続ける性格だったと思います

そんなアクティブな僕が、唯一じっとして夢中になったのが、自作迷路です!

白い紙に鉛筆で簡単な迷路を書くのが好きだったんです♪

書いた後に、自分でスタートからゴールまでが簡単に行く着くのが面白くなくなって、もっと長く、そしてもっと難しさを求めていくようになり、どんどん迷路を書くのに夢中になっていきましたね

それだけでは飽き足らず、迷路全体の形を動物の絵にしたりと遊び心をいれてたりもして、今思うと自分の才能はそこがピークだなと思ったりもします笑

幼少期はあんまり記憶はないですが、そんな子供だったかもという感じです

少年野球では…

小学3年の頃まで全く野球に興味がなかったのに、友達とキャッチボールをするようになってからは少しずつ「野球っておもしろいかも」と思うように

小学4年になってから友達の誘いで近くの少年野球チームに所属するまでになりました

当時好きだったプロ野球選手は、横浜ベイスターズの鈴木尚典、地味な選手でしたがいいバッターで憧れでもありました

その頃のプロ野球はだいぶ熱かったと思います

やっぱり、松坂大輔がプロ野球の世界に入った年でもあったし、イチローと松坂の対戦が平成の名勝負でしたねぇ~

そして、プロ野球チップスにすごいハマって、友達と毎日近所のスーパーで買いに行ってはカードを集めたりしてました

そんな僕の野球での最初のポジションは確か外野で守るか、代打が多かったと思います。

最初の頃は、ピッチャーが投げる球にどうやったら当たるのか、どうしてみんなヒットに出来るのか不思議なくらい、打てませんでしたよ笑

当てても、内野ゴロか内野フライ

外野なんて飛ばせなかったんですよ!

たぶん、バッターボックスに立って「スイングして当たらなかったらどうしよう」とか、そういうのを考えていたというのがあったかもしれないです

けっこう小心者だったし、攻めるようなタイプじゃなかったら、所属して1年くらいは全然ダメダメでしたね

5年生になってからですかね

一本のヒットがきっかけで自信が付くようになり、そこから野球がどんどん好きになっていったのもあります

それは、チーム主催のトーナメントの決勝試合で、外野を超えた3ベースヒットを打ちました

いままで、試合になるとバットを振ることが恐怖心でしかなくて、フォアボールか三振が多かったんです

でもその試合では、開き直ったかのように思いっきりスイングして、結果タイムリー3ベースヒット!

自分もみんなが打ってきたような気持ちいヒットやカッコいいヒットが打てるんだと自信が付いた試合でもありましたね

エースで4番

やっぱり2年も経つと練習の量に比例して技術的にも精神的にも野球が上手くなってきます

6年生になった僕は、同じ学年のチームメイトはいないので、必然的にキャプテンになりました

あんまり引っ張っていくようなタイプではないですが、そこまでキャプテンの仕事というのが少年野球のうちはなかったので、わりとやっていけたと思います

唯一印象に残っているのが、選手宣誓と入場行進だったかな

              

シニアリーグ時代

小学6年の秋頃に、監督からシニアリーグで挑戦してみないかと言われました。

1つ上の先輩がそのシニアのチームに所属していて、たまに僕らの練習に参加しては、シニアの話をしてくれたり、硬式グラブを自慢げに見せていたので、そりゃあ興味はなくはなかったですから、一度体験してみようかなと軽い気持ちで行ったんですね。

そしたら、けっこうビックリの連続でしたね。

とにかく、体格とパワーが全然違う!昔でいう、日本人野球選手とメジャーリーガーの違い的な笑

あとで知ったのが、県の中では結構強豪で、全国大会に出場するくらいのチームだったんですね(汗)

いま思うと、完全にリサーチ不足です笑

やめたかったけど、続けようと思った最初のあるきっかけ

特にレベルが違いすぎて怖いと思ったのが、コーチか先輩に「ショート守ってくれ」と言われたときです。

マシンから放たれるボールを打つシート打撃の練習があり、先輩たちが打つボールを僕がショートのポジションの位置で取らなければいけないのですが、あまりの打球の速さに怖くてまともに取れないんですよ!笑

いままでの軟式と硬式の違いもありますが、いままで経験したことのない打球速度にビビッて逃げ腰でずっと取っていたのですぐ代えられました笑

自分の能力だとかそこで再認識できたので、恥ずかしくもなり、相当へこんだ体験になりました

やめたいなぁと正直思いましたが、自分と同い年で体も小さいやつが、小学4年の頃から所属していたらしく、そいつの楽しく野球をしている顔を見て、やめようにもやめられなかったのもあります。

それに、「もう少し続けなければ、楽しさなんて分からないしな」と思ったからです。

中学時代

中学1年の頃には、野球肘で手術をすることになり一時野球は断念!

なので、このままだと負担になると思い、シニアもやめることにしたのです。

中学時代は野球が出来なくなり辛い思いをしましたが、野球から離れてしばらくは色々なことに興味を持ち、趣味も増え、ある意味いいきっかけだったかもしれないです。

自分が楽しいと思えることがあったらそれに対して進むべきだなと思えたのも中学の時でした。

ま さかのサッカー部に

野球をしなくなり、これから何しようかなぁと考えていました。

「部活動に入らないで学校に行くのもなぁ、嫌いな授業だけ受けに学校に行くのもしんどいから」そんな理由でとにかく体を動かさなきゃと思い、部活探しをしました。

やっぱり腕を使わずにできるスポーツというのは限られます。

卓球もバレーボールもテニスも腕を使います。

だから、当時の中学ではサッカーか陸上くらいになるんですね。

せっかくならサッカーかなと思い、それにちょうど友達がサッカー部に何人かいたのもあったので、サッカー部に正式に入部することに決めたというわけです!

やってみて思ったのは、細かい短距離走を延々やる感じなので、他のスポーツとは違う体力が必要で相当大変でしたね。

あとは、接触プレーがホントに多くて、神経質な自分にとって相手の汗とか息遣いとかが気になり集中力が保てないのが多々ありました(笑)

とはいうものの、サッカーもおもしろかったしやってよかったなぁと

サッカーという新しく始めたことに対しても親はしっかりサポートしてくれました。

やっぱり送り迎えと道具の費用やら、少年野球同様大変ですからね。

苦労かけてきました

苦労かけたと言えば、勉強も親には随分迷惑かけてしまいました!

僕は本当に勉強が嫌で嫌で、テストの成績も非常に悪かったです。

偏差値は恥ずかしくて言えませんが、聞くとびっくりするような低さかも…

なのでこのままじゃやばいと思い、塾や家庭教師を親にお願いしてもらいました。

最初は家の近くの塾に通いましたが一年もせずに断念。

その次は家庭教師、しかしなかなか結果が出ないでいました。

そして、最終的にKATEKYO学院の完全個別指導で成果がようやくでました。

とりあえず教え方がうまい先生だったので、その時に「自分だけが悪いんじゃないんだと教える側も重要なんだと」気付きを得ました(笑)←(偉そう)

でも親は辛いですよね

ホント金のかかる子です…

まぁなんとか高校に入学できました!(笑)

高校時代

肘の回復も中学の頃からだんだん良くなっているので、この頃には本格的に野球ができます!

進学した高校はスポーツが盛んでもなく野球が強いわけでもない普通の高校です。

高校1年時は主に外野を守らされていました。

やっぱり自分の体系的にシニア時代から外野を守るのが多かったですね、ライトかセンター。

1年時はなかなかレギュラーには定着できず、だいたい1試合終わった後の2試合目、消化試合みたいな時に先発していました。

同級生はほとんどが中学で野球部だったので、多くはレギュラーになったりと「いいなぁ」という感じで試合を見ていました。

3年生が引退してからは部員が10人というギリギリのところでいつも戦ってきたわけですよ!

なので練習試合ではたまにコーチや監督が選手にまじり、試合で活躍することなどよくありました。

今考えるとおもしろいですね(笑)

2年時にはピッチャーもやる機会が増え、練習量も今までの倍になり自分の成長が目で見えるようになってきました。

その頃から、機械トレーニングだったり、体幹トレーニングをチーム専属のトレーナーと一緒にやったりいままでにはない経験をしました。

厳しい練習のおかげで、強豪校との試合でもいい勝負ができるまでにチームは成長しました。

悶々とする時期

高校2年の冬、野球を優先してきてここまで高校生活を送ってきましたが、あることをきっかけに僕は野球部を辞めようかと思うくらい悩んだことがあります。

それは、音楽との出会いです。

学年の間で楽器を持ってくる人がいたり、バンドメンバーとセッションしたりとバンドブームみたいな現象が起きていました。

ちょうどその当時は着うたフルが出た頃でもあり、音楽をいつでも聴けるようになったので休み時間は音楽の話で持ちきりでした。

当然ミーハーな僕はそれに乗っかりたいと思い調べ始めたのです。

ちょうど姉が自分より音楽の知識があったので、色んなCDを借りては衝撃を受け、自分好みのバンドを聴くように。

そして、どんどんと練習そっちのけでそのバンドの虜になっていきました。

野球以外では味わったことのない世界が自分の中で広がり、いつしか「カッコいいなぁ」から、「憧れ」になっていき自分でもギターが弾けるようになりたいと思うようになったのです。

それ以降、ギターの練習をしながら野球の練習をするようになり、意識的には音楽8:野球2という感じでしたね(笑)

3年の夏の大会が終わってからはより音楽に夢中になっていきました。

僕が音楽の道を志したのもちょうどその頃です。

野球部の頃の話をあまりしていないですが、自分にとって高校生活の大きな出来事が音楽との出会いだったので高校時代の話はこのへんでということで。

まぁ晴れて高校を卒業し、すぐ上京に至りました。

最初に住んだところは西東京市にある田無という街です。

ちなみにあたしンちの舞台にもなったのが田無です(笑)

そして、その次が小平に住み、いまは豊島区民です。

こういった感じに、簡潔に書いたつもりが身内でも知らない少し濃い内容を紹介してしまいました。

まぁこれが僕の幼少期から大人になるまでの歩みでした。

母の少年野球とは

このブログを始めた経緯に関して3つあります。

1つ目は、野球は昔から好きなのもあったのですが、なんだかんだ野球の情報ってYouTubeだったり、スポーツニュースだったりと常に気にしながら見たりして生活してるよなぁと思ったのが1つ目のきっかけです。

2つ目は、自分の得意なことや好きなことを表現するのが自分にとっても相手にとってもいい価値を得られると昔から思っていることでもあります。

なので、自分がもともと培ってきた知識というのをもっと発信して悩んでいる人や困っている人たちに届けるのが、ここまで自分を育ててくれた人たちに対する恩返しだと思うし、使命でもあります。

3つ目は、野球の情報は常に取り込んでいるけど、自分が発信する情報というのはどんな人たちに向けて伝えるのが一番いいのか

それを考えた時に、どの分野でも言えますが、野球を始めるにはまず楽しむことが大前提。

その土台となる時期は、一番純粋な気持ちを持っていて、可能性が無限にある少年時代にあると、自分なりに感じました。

そこにフォーカスして発信…と思いましたが少年野球の悩みってどういったのがあるんだろうと思い、そこで色々調べたり当時の事を思い返したりしました。

そしたら不思議と「監督や子供たちよりもチームを支えている保護者の方たちって結構大変だよなぁ」

色々な経験してからか、母親の偉大さにも気付く年頃でもあり、そのお母さん達が少しでも明るく元気になれれば、みんなハッピーになれるじゃんと思ったのです!

このことがきっかけで、このブログは少年野球のお母さんのための有益な情報やホッとするような記事を発信するようになったのです♪

まだまだ勉強不足なところもある元野球少年ですが、これからもどんどんハッピーな毎日に送れるように一緒にがんばりましょう!